天野千尋/あまの・ちひろ
大学卒業後、約5年間株式会社リクルートに勤務したのち、2009年に映画制作を開始。 ぴあフィルムフェスティバルを始め、多数の映画祭に入選・入賞。長編『ミセス・ノイズィ』は、東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門選出、2020年全国劇場公開。ニューヨーク・ジャパンカッツ観客賞受賞。日本映画批評家大賞脚本賞受賞。その他主な作品に、WOWOWドラマ『神木隆之介の撮休』監督、土ドラ『僕の大好きな妻!』監督、アニメ『紙兎ロペ』脚本、Netflixオリジナルシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』脚本など。
岨手由貴子/そで・ゆきこ
大学在学中から自主映画をはじめ、水戸短編映像祭やぴあフィルムフェスティバルに入選。2015年に長編商業デビュー作『グッド・ストライプス』が公開。本作で第7回TAMA映画賞 最優秀新進監督賞、2015年新藤兼人賞 金賞を受賞する。2021年には山内マリコの同名小説を映画化した『あのこは貴族』が公開。Netflixオリジナルシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』では脚本を担当。現在、ディズニー+で燃え殻のエッセイを元にした連続ドラマ『すべて忘れてしまうから』が配信中。
昨今、たびたび話題となっている映画業界におけるハラスメント問題。その内実を覗いてみると明らかになるのは、不規則な撮影現場において男性中心になってしまうスタッフ、大きく開くジェンダーバランスのギャップなど、時代と逆行する現状が見えてきます。そんな映画業界における#しかたなくないことをどう変えていけばよいのでしょうか?
答えを求めたのは、映画業界で子育てと仕事に奮闘する岨手由貴子監督と天野千尋監督。シビアな業界構造と、これから必要な変化を尋ねたら「女性の現場参加」「子育て」「ハラスメント」「労働時間」などさまざまな話に展開。本稿は前後編で対話をお届けします。
考えることは多様な映画文化を守ることに繋がっていきます。まずは前編ではおふたりが子育てをしながら働くことで見えた現場の問題点から対話は始まります。
出産・妊娠で急に仕事がなくなった
─そもそものおふたりの出会いのきっかけからお伺いできますか?
岨手:お互いに、自主映画を作って映画祭に出品する、という駆け出しの時期が重なっていたので、昔から名前だけは知っていて。
天野:仲良くなったのは、2014年にぴあフィルムフェスティバルという、若手の登竜門的な映画祭が主催する会のときだよね。そこに、私も岨手さんも参加していたのですが、ちょうどふたりとも妊娠をしていて。子どもが1ヶ月違いで産まれることがわかり、そこから意気投合して交流が始まりました。
岨手:よく子どもを連れてお互いのお家に遊びに行っていました。昼間からノンアルコールビール片手に、いろんな話をしましたよね。ふたりとも出産を機に仕事がパタっとなくなってしまい、次の企画を考えたり脚本を書いたりしていたので、お互いに情報共有して鼓舞し合っていました。
─妊娠・出産がわかってから、仕事がなくなってしまったんですか?
岨手:そうですね。それだけが原因ではないかもしれませんが、明らかに仕事はなくなりました。出産してしばらく経ってから、関係者から「あの企画は子育てが大変そうだと思って別の人に振った」と打ち明けられることもあり、「次に出産するなら、周りには言わない方がいいよね」という話は天野さんとよくしていました。
天野:そうそう、当時は私も業界の人たちに、出産予定だと連絡していたんです。会社員も長期休みに入る際は、関係者に連絡をしますよね。そんなテンションで「出産して3ヶ月くらいしたら復帰すると思うので、よろしくお願いします」と。ですが、出産・子育て=仕事ができないと勝手に気を遣われてしまい、仕事を振ってもらえなくなりました。知らせなければよかった、と後悔しましたね。
岨手:天野さんは妊娠中も撮影していましたよね?
天野:はい。妊娠中も撮影ができていたので、現実の厳しさを理解できていませんでした。鮮明に覚えているのは、当時よくご一緒していた女性プロデューサーから「妊娠しちゃったの?」と怪訝な顔をされたこと。「せっかく映画制作が軌道に乗ってきたところなのに残念だね、これから映画撮れないと思うよ」とまで言われました。当時はその言葉の意味を理解できなくて、出産しても今まで通り仕事ができると思っていました。
ですが、私も仕事がパッタリ来なくなって。たしかによく考えれば、出産後すぐに現場に出ている女性をほとんど見かけませんし、社会的に夫より妻が子どもを見る、という暗黙の共通認識が映画業界にも根強くあるので、自然と仕事を振らなくなってしまうのだと思います。なので、岨手さんという仲間がいたのは心強かったですね。
岨手:私も天野さんがいて心強かったです。映画業界に限らず、フリーランスがぶつかる壁ですが、都会で子育てをしていて辛いのが保育園に入れにくいこと。映画監督って常に拘束されたり成果物を生み出せるポジションじゃないので、働いている実績を証明しづらいんです。だから保活(*1)に必要なポイントも稼げなくて、打ち合わせがある日は1時間1,800円の認可外保育園に預けていました。正直、働かない方が下手な出費がないけれど、それでは自分の仕事はできないままですし……。
1……子供を保育園に入れるために親が動くこと。区によって定員があり、審査が厳しくなることも。
─子育てをしながら映画に携わっている、そんなロールモデルになるような方はいらっしゃいましたか?
岨手:世代が近いところにはいなかったですね。長編映画製作はとにかく時間がかかります。企画をして、脚本を書いて、ロケハンなど撮影前の準備、撮影、編集など仕上げ、宣伝と、1本作るのにだいたい3、4年かかってしまう。1番忙しい撮影の時期は朝に家を出て、深夜帰って寝るだけの生活になるので、「子育ては無理だろう」と一方的に想像する側の気持ちもわかります。
天野:撮影期間は朝6時集合が多く、まれに早い時間に現場が終わったとしても打ち合わせや明日の準備などで結局、帰宅は深夜。まったく子育てに関われないんですよね。私の場合は夫にも家事を担ってもらえるように、いろいろ試行錯誤しました。結果的に、全ての家事を代替可能な状況にしたんです。料理、子どもの習い事の当番など全て、夫も私もどちらも担当できる。私がいないと回らない、という場面をゼロにすることで、いまは何とか撮影にも参加できています。
岨手:私は現在金沢在住なので、撮影期間は東京に単身赴任をして、その間子どもたちは金沢で夫と母が見ています。最近やったドラマの撮影では半年くらい子どもに会えず、ものすごく寂しかったですね。撮影がない時期は金沢にいますが、寝かしつけをしながら9時頃に子供と一緒に寝て、深夜1時に目覚まし時計をセットして、朝まで脚本を書くという生活をしていました。そうでないと一緒に働いている男性のスケジュール感に間に合わなくて。こういう働き方は映画業界に限らないと思うのですが、それでも労働環境としてはかなりシビアだと思います。
日本映画は低予算なのに作品過多
─おふたりは映画業界の労働環境やハラスメントについて、どのようなきっかけで問題意識を持つようになったのでしょうか?
天野:駆け出しの頃はみんなそうだと思いますが、「どんな条件でも映画を撮りたい」という思いが強かったんです。私は普通の会社員からこの業界に入ったので、“業界のイロハ”もわからず、好きな映画が撮れるなら長時間労働も仕方がないと黙認していました。しかも、若手の頃はギャラを提示してもらえないことが多い。契約書もないので口約束でことが進んでいき、映像を納品してから金額を知ることがほとんどでした。ただ、それはいわゆる“やりがい搾取”ですよね。出産をきっかけに時間ができたことで、自分の働き方を見つめ直した時に気づきました。
岨手:フリーランスなので労働基準法は適用されず、最低賃金も時間外労働手当もない。加えて、作業を始める前に契約書を交わすこともないし、事前にギャラを提示してもらえることも少ないんです。働いた時間に対してギャラを計算すると、絶望的な気持ちになるよね。
天野:そうなんだよね。日本の映画は諸外国に比べて圧倒的に製作費が少ない現場が多いですし、そういう現場が近年さらに増えている気がします。スタッフが疲弊している姿や、育児との両立が難しく辞めてしまう女性が周りに多いこともあり、労働環境について考えるようになりました。
岨手:あと、自分の年齢や立場が上がってきたことで意識が芽生えました。若い頃は「こういうもんだ」と受け入れていたのですが、あまりに過酷だし辞めてしまう若手も多い。私自身は2021年からaction4cinemaの活動に参加するようになり、色々な勉強をするうちに、これは映画業界の構造的な問題であると気づき、意識が高まりました。
フリーランスが多くを占める映像業界で、労働環境を大きな組織に守られているわけでもない1人の人間の意識で改善するのは難しいですし、その責任を個人が背負っているのはおかしい。これは業界全体でガイドラインやサポート体制を作っていく必要があると思います。
天野:今まで個人の裁量に任せすぎていましたよね。世の中的にはハラスメント問題なんて10年以上前から言われているのに、映画業界だけ無法地帯のように取り残されていたのかなと思います。
─あらためてaction4cinemaの活動内容について、お伺いしてもよいですか? 是枝裕和監督、諏訪敦彦監督、片渕須直監督、西川美和監督、深田晃司監督、舩橋淳監督、内山拓也監督、そして岨手監督が中心となり「action4cinema/日本版CNC設立を求める会」として立ち上がりました。日本の映画界に必要な労働環境の保全、教育支援、製作支援、流通支援といった項目を柱に挙げ、映像文化の統括機関の設立を目的にされています。
岨手:フランスにはCNC、韓国にはKOFICがあるように、他国には労働環境の保全や製作される映画の多様性を確保するための組織が存在しますが、日本にはそれがない。フリーランスの働き手が多いのに、安心して、夢を持って働ける環境がないんです。若い人材も不足していますし、コロナ禍で映画館の閉鎖も続いており、待ったなしの状況です。20、30年後にも良い作り手が存在し、多様な映画が作られ続け、観客に届けられる環境を、今すぐに整える必要があります。そのためには、まずはいま働いている人たちが守られなければならないですよね。他国と比べると、日本は映画一本にかける予算がすごく少ないので、そこから考えていかないといけないと思います。
─actiion4cinemaのHPで公開していた「CNC、KOFICの概要」の記事を見てみると世界各国の映画業界の支援団体と、年間製作本数をまとめた図があります。これをみると日本の年間制作本数は上位なんですね……。
岨手:低予算の作品がたくさん作られているのですが、それぞれに十分な予算があるとは言えず、働き手の負担に頼って成り立ってしまっている側面があります。ただ、労働環境の改善は必須として、労働時間や最低賃金の規定を守れない規模の企画をただ切り捨てていくだけでは、新人監督のデビュー作や芸術性の高い作品が撮られなくなってしまいます。ヒットを見込める大作映画しか作られなくなったら、映画の多様性が失われてしまう可能性があるんです。私たちが求めているのは、さまざまなタイプの映画が安全に作られる環境を守り、映像文化が産業として続いていくための仕組みを整えることなんです。
天野:日本の興行収入を見ると、2000年以降コロナ禍前まではほぼ右肩上がりですが、収入のほとんどは大作映画に偏っています。製作本数の過半数を占めるのはミニシアター系と呼ばれるようなインディペンデント映画なのに。収入を得られないなら作らなければいいという考え方もあるかもしれませんが、それでは表現の幅が狭まるばかりです。
─製作本数が多い一方で、支援金の額は少ないという状況があるんですね。
天野:そうですね。そのせいだけとは言えませんが、ここまで予算が低い映画が大量に作られている国は珍しいと思います。他の国では、同じインディーズ作品でも日本の10倍くらいの予算感で作られていたりしますし。でも、韓国などは改革があったからこそ今があると聞きますよね。
岨手:フランスも韓国も、業界の危機を前にして、一丸となって組織を作った歴史があります。日本もコロナ禍やハラスメントの問題で同じ危機に直面している今こそ、業界全体で同じテーブルについて考える必要があると思います。
天野:特に資金繰りの部分は、解消したいですよね。「お金がない」ことが低賃金の長時間労働に繋がり、優秀な人材が居なくなり、作品の多様性が乏しくなっていく。これまでは個人の負担でどうにか成り立ってきたけれど、限界だと思います。資金面が解決されれば、いろんなことがじわじわ変わっていく気がします。
岨手:若手が経験を積むために報酬を返上しても働きたいと思うのは、自分もそうだったから分かるし、ある程度はしょうがないと思うんです。だからこそ、実績のある上の世代は、そこに問題意識を持って改善しないといけない。今は自分たちの世代が構造を変える努力をするべきだと思うようになりました。
Text:Yoko Hasada /Photo:Shiori Ikeno /Edit:Eisuke Onda